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土づくり

なかなか時間がないもののGWにがんばって土づくりです。
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種植えようの畝(ウネ)と
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苗植えようの畝を二本ずつ作りました。
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大根、人参、カブ、トウモロコシ、スナックえんどう、ごぼう、
いろんなものをつくる計画です。

by maxim0427 | 2011-04-30 22:13 | 農業1年生  

日本の歴史(神話ー国譲り物語)

 
 怪物を退治し、数々の試練にたえた須佐之男命大国主神とは、まさに王者としての資格をそなえていた。しかし、神代史にあらわされた両者の共通性は、高天原にたいする敗北者だったことである。須佐之男の命が天津罪によって高天原から追放されたこと、大国主神も、高天原のおくる将軍の圧力によって、せっかく得た国土の支配権を返上するのである。

 国譲り物語

 天照大御神は「豊葦原の瑞穂国は、わが子天忍穂耳命(おしほみみ)の知らさむ国(支配すべき国)である」として、かれをこの国土につかわすこととした。しかし、天浮橋にたって下界を眺めると、荒ぶる国津神たちがいて、ひじょうにさわがしい状態であった。

 そこで高御産巣日神と天照大御神の命により、八百万の神々は天の安河の河原に神集いして、思金神(おもいかね)の知恵で、将軍を下界につかわして言趣(ことむけ)(説き伏せること)させることにした。そしてまず天菩比神(ほひ)がつかわされたが、この神は大国主神に媚(こ)びつき三年たっても復奏しなかった。

 高天原の神々は、天若日子(わかひこ)に弓矢たまわって言趣させた。しかしこの神も、八年たっても復奏しなかったので、神々は鳴女(なきめ)という雉(きじ)をつかわした。ところが天若日子は「その鳴く音(こえ)いと悪し」といって矢を放って雉をころしてしまった。しかもその矢は雉の胸を貫通し高天原にまで達した。高木神がその矢をとって地上に放つと、眠っていた天若日子にあたった。天若日子の弔い(とむらい)の日、阿遅志貴高日子根神が参会したが、この神は死んだ天若日子と顔かたちがよく似ていた。天若日子の一族は、生き返ったのかとその手足をとってよろこぶと、高日子根神は怒って十椈(とつか)剣を抜き、喪屋を切り倒し、蹴飛ばしてしまった。その喪屋は美濃国の喪山(もやま)となった。

 高天原の神々は、三度目に建御雷之男神(たけみかずちのお)を下界に送った。この神は、出雲の伊那佐の浜(出雲大社付近の浜)に降りたち十椈剣をつきたてて、「汝がうしはける(占有している)葦原中国は御子の知らさむ国である」と宣言した。このとき、大国主神の子の事代主神は、たまたま魚釣りに出かけていたが、帰ってきて、国土返上を承知し、乗ってきた船を踏みかたぶけ、青柴垣(あおしばがき)に身を隠した。一方、、もう一人の子の建御名方神は承知せず、建御雷之男神に力競べを迫ったが、けっきょくかなわないで、科野国(信濃)の洲羽(諏訪)の海まで逃げたあげく帰順した。そこで大国主神も国土返上を誓うこととなった。建御雷之男神は多芸志(たぎし)の小浜に天御舎を造って大国主神を祭り、国土平定の終わったことを高天原に報告した。



この国獲り物語の問題点は、下界はひじょうにさわがしい状態であったとするところを平定は、出雲国という特定の地方であったということであるのと、天忍穂耳命を地上に降ろすとき、その地点が、出雲でなく日向であったとされうところに大きな矛盾をおかしている。
 これについては、番能邇邇芸命が荒ぶる神を平らげて、この国に降られたという物語が一度できあがった後になって付け加えられたものであろうとしている。

 かりに、出雲に非常に大きな敵対勢力があったとすれば、まずそこを平定しするのは自然のことであり、またその敵対勢力を平定したのちに、その勢力の根拠地に天降りしなければならないという必然性もないことである。出雲が大和朝廷にとって大きな敵対勢力であったためであると理解したい。

 「続日本紀」に出雲の国造(くにのみやつこ)だけが就任のときごとに朝廷に参考して一種の儀礼をおこなっていたこと、服属の誓詞ともいうべき賀詞を奉るならいのあったことである。その賀詞は、「出雲国国造神賀詞(かむよごと)」という名で、「延喜式」に記されている。それは、出雲臣の祖の天穂日命が高天原に使いとして、出雲に降ったのち、さらに、不都怒志(ふつぬし)命がつかわされたとき、国をつくった大穴牟遅(おおあなむち)命(大国主神)が「大倭国(おおやまとのくに」をたたえ、子孫の神々を天皇家の守り神としてたてまつって、みずからは杵築宮(きづきのみや)に身をかくしたという吉詞(よごと)を申し上げます」という全面的服従のことばであった。大和朝廷の国土統一、および国家形成の過程において、この出雲国造の勢力が大きな敵対勢力であって、これを服属させ、その祭祀権を中央に統合したことが、大和朝廷の国家形成上、重要な意味をもっていたためであろう。

by maxim0427 | 2011-04-30 18:00 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話―大国主神)

大国主神(大穴牟遅神)

 大国主神の兄弟は八十神(大勢神々)であったが、かれらは大国主神に国をゆずって退いた。
 それは次のような事情からであった。

 ある日、八十神たちは、おのおの八上比売(やがみひめ)を妻にしようと思い、大穴牟遅神に袋を負わせ、稲羽(因幡)に向かう途中、気多の海辺で裸の兎を見つけた。この兎は、淤岐(おき)島にすんでいたが、この地に渡ろうとして和邇(わに)(鰐鮫)をだましたので、衣服(毛皮)をはがされたのであった。八十神は兎をあわれまず、かえってこれをいじめたが、大穴牟遅神は傷を治す方法を教えてやったので兎はもとの体になった。

 八上比売は大穴牟遅神の妻となる意志を八十神に明らかにしたので、八十神は大穴牟遅を殺そうとはかり、伯伎(伯耆)で赤猪狩に誘い、火で焼いた大石を猪にみせかけて追い落としたので、大穴牟遅神は死んでしまった。泣き悲しんだ、母の御祖命(みおやのみこと)は、天上の神産巣日神に請願した。そこで神産巣日神はキサ貝比売(きさがいひめ)をつかわして薬をつくらせたので大穴牟遅は生き返った。

 八十神はさたに大穴牟遅神を山に誘い、大木の割目にだまし入れておしつぶした。このときも大穴牟遅神は命を失ったが、御祖命が死体を探しだして治療して生き返らせた。御祖命は、また凶事が起きるのをおそれて、木国(きのくに)(紀伊の国)の大屋毘古神のもとへ避難させた。しかし八十神はそこへも追っていったので、大屋毘古神は、須佐之男命のいる根之堅州国に大穴牟遅神をつかわした。大穴牟遅神が須佐之男命のもとへ行くと、娘の須勢理毘売(すせりびめ)に会った。二人はただちにまぐわいした。姫が「いと麗しき神きましつ」と父に報告すると、大神(須須佐之男命)は出で見て、「これこそ葦原色許男(あしはらしこお)(葦原中国の勇者)ぞ」とたたえた。

 大神は大穴牟遅神に数々の試練をあたえた。蛇の室谷に寝かせたり、呉公(むかで)と蜂の室に寝かせたり、鳴鏑(なりかぶら)の大野のなかに射いれて、その矢をとってこいと命じ、まわりから火をつけたりした。大穴牟遅はそのつど妻の須勢理毘売や鼠の知恵で助かった。大神は大穴牟遅神を家につれかえり、今度は自分の頭に巣食う虱(しらみ)をとれと命じた。見るとそれは呉公(むかで)であった。やがて大神が眠りに入ると大穴牟遅神はそのすきをねらって、大神の生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)と天詔琴(のりごと)(神がかりのときに使う琴)を奪い、須勢理毘売を背負って逃げ出した。そのとき詔琴が樹にふれて地もとどろになったので、大神は目を覚まし、大穴牟遅神を追いかけた。しかし、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げのびると、ついにおよばなくなった。このとき、大神は大穴牟遅神をたたえて「その汝(いまし)がもてる生太刀・生弓矢をもって、汝が庶兄弟(ままあにおと) をば坂の御尾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、大国主神(おおくにぬし)となり、また、うつし国玉の神となり、わが女(むすめ)の須勢理毘売を嫡妻(正妻)として、宇迦能山(うかの)の山本に、底津石根(地底の岩)に宮柱ふとしり(宮殿の柱をどっしりとすえ)、高天原に氷椽高しりて(天空高く千木をたて)居よ。是奴(こいつめ)」とたたえた。こうして、大穴牟遅神は国をつくることになった。

 大国主神が、出雲の御大(島根県美保か)の崎にいたとき、、波の穂をわけ天羅摩船(かがみのふね)に乗り、鵝の皮の衣をきてやってきた神があった。それは神産巣日神の子の少名毘古那神で、「汝、葦原色許男神と兄弟としてその国(葦原中国のこと)を作り堅めよ」と命にしたがってやってきたのである。この神は、「ことごとに天の下の事を知れる神」であった。大国主神と少名毘古那神は二人してこの国を作り堅めた。のちに少名毘古那神は海を渡って常世国にいったので、大国主神は「いずれの神とともに国づくりをしたらよいか」とうれえたが、このとき御諸山(奈良県三輪山)の神が、海を照らしてあらわれ、「相作り成さむ」といった。

 

 

by maxim0427 | 2011-04-30 16:41 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話―出雲神話)

出雲神話

須佐之男命は高天原を追放されて、出雲国の肥の川(島根県斐伊川)の河上の鳥髪の地(仁多郡鳥上山とある)に降りたった。

 そこには足名椎(あしなずち)・手名椎(てなずち)(娘を足撫で手撫でかわいがるという意からきたもの)の老いた夫婦と、その娘の櫛名田比売(くしなだひめ)が住んでいた。老いた夫婦は姫をなかにおいて泣いているので、わけを尋ねると、この地には、眼は真っ赤なほおずきのように燃え、八つの頭と尾をもち、その身には樹木が生い立ち、体の大きさは八つの丘を越えあたるほどの高志(越)の八俣遠呂智が住んでいて、年ごときにきては、つぎつぎと娘を食ってしまった。今年はこの娘の番にあたるので、泣き悲しんでいるとのことであった。

 須佐之男命は、これを聞いてあわれに思い、、その櫛名田比売とめあったのち、彼女を小さな湯津爪櫛(ゆつつまぐし)(「ゆつ」は、いかめしいの意)に化身させ、髪のみずらに隠してしまった。つぎに老夫婦に命じて八度も発酵を重ねて醸造した強い酒をつくり、垣根の八ヶ所の門ごとにひとつずつ酒船(酒を入れた大きな器)を置いて酒をなみなみとつがした。こうして待っていると、はたして遠呂智があらわれて、酒船の酒をつぎつぎと飲み、ついに酔いしれて眠ってしまった。このとき、須佐之男命は十拳剣を抜いて遠呂智を切り散らしたので、肥の川は血で真っ赤になった。そして尾を割くと都牟刈(つむがり)の太刀が発見された。須佐之男命は不思議に思い、この太刀を天照大御神にたてまつった。

 須佐之男命はそこで、新居の宮殿を造ろうと出雲の国を探し歩き、須賀(島根県大原郡須賀)の地に宮をつくり、老父足名椎をその首長とし、櫛名田比売と結婚した。この二人の間にもうけた六代目の子孫が大国主神である。

 

by maxim0427 | 2011-04-30 13:48 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話―天の岩戸)

天の岩戸

天照大御神須佐之男命の暴行があまりにはげしいのを怒り、天の岩戸に隠れてしまったために、天地は闇となった。そこで八百万の神々は天の安河原に集い、高御産巣日神の子、思金神の知恵で、天照大御神を岩戸から引き出すこととなった。

 神々は長鳴鳥を集めて鳴かせ、伊斯許理度売命に鏡、玉祖命に玉、天児屋命(中臣氏の祖)・布刀玉命(忌部氏の祖)の二人に賢木(さかき)を用意させ、鏡、玉、および丹寸手(にぎて)(楮や麻の繊維で織った木綿)を賢木に垂(し)でて、布刀玉命には御幣(供物)を天児屋命には祝詞を奉らせた。そして天宇受売命(猿女氏の祖)は、日かげのかずらを襷(たすき)にかけ、つるまきを髪のかずらとし、小竹葉(ささは)を手に持ち、伏せた汙気(うけ)(おけ)の上にたった。そしておけを踏みとどろかしながら、神が人に乗り移った状態で、胸乳をあらわにだし、腰にまとう裳(も)のひもをおしさげ、陰部まであらわにして踊りつづけた。
 
 八百万の神々がこれをみてどっと笑ったので、天照大御神は、自分より尊い神があらわれたのかとあやしみ、岩戸をそっと押し開いた。天児屋命と布刀玉命とは、すかさず鏡をさしだして大御神に示すと、女神はますますあやしみ、岩戸から一歩足をふみ出した。このとき、岩陰に待っていた天手力男命(あめのたぢからお)はその手をとってひきだし、布刀玉命がしめ縄を張って岩戸にかえれないようにした。こうして、高天原、葦原中国(あしはらのなかつくに)まで、またおのずから照り明るようになった。
 
 そこで神々は、須佐之男命に千位置戸(ちくらおきど)(祓いの品物をおく台)をおわせ、ひげも手足の爪もぬいて天上から追放した。

by maxim0427 | 2011-04-30 09:06 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話―須佐之男命)

須佐之男命

1:皇室に対抗する出雲勢力の祖神・大和朝廷に対する政治的対立者。
2:大国主神の先祖


 三柱の神が生まれると、伊邪那岐命は、貴い子を得たと喜んで、首飾りを天照大御神に渡し、高天原の統治を委任した。また月読命には夜の食す国(食すは支配)、須佐之男命には海原の統治を命じた。しかし須佐之男命は、妣(はは)の国(母の伊邪那美のいる国)、根之堅州国(地底の片隅の国のことか)を恋しがり、青山を枯山にするほど、河海の水を乾してしまうほど、はげしく泣くので追放されることになった。

 須佐之男命は、そこで天照大御神にいとまごいをするため、高天原にのぼっていったが、そのすさまじさに、山川は動(とよ)み、国土という国土はみなゆれるありさまであった。「我が国を奪うのか」と恐れた天照大御神は、武装して、これを迎え、二人の間に宇気比(うけい)(神に誓い、その正否を問う)がおこなわれた。その方法は。天の安河をはさんで相対し、双方に剣と玉を交換し、それぞれを打ち砕いて、心のあかしをたてるものであった。

 宇気比に勝った須佐之男命は、心がおごり、種々の暴行を働くようになった。大御神の常田の畔を切り、溝を埋め、大御神の聞ししめす大嘗(おおにえ)の殿に屎(クソ)をちらした。大御神はあえてこれをとがめようとしなかったが、忌服屋で神御衣を織っていたとき、その服屋の頂をうがって、天の斑馬(ふちこま)の皮をはいでおとし入れ、服織女(はたおりめ)を驚死さすにおよんで、さすがの女神も怒り、天の岩戸にかくれてしまった。そのため、天地はまっくらやみになった。

by maxim0427 | 2011-04-29 23:02 | 日本の歴史(中央公論社)より  

シャトルシェフ

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誕生日プレゼントのシャトルシェフをキッチン内に設置いたしました。
炊飯器の横。電気ポットをおいやり設置いたしました。

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内鍋をIHで沸騰調理させた後、中にいれておくだけで煮込んでくれる(保温調理) のです。

スピードと高い加圧能力の圧力鍋。
じっくり煮込んで温度を下げないシャトルシェフ。

ひとまず豚の角煮をつくりました。
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豚バラかたまり肉をフライパンで焼きつけて
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ねぎと生姜と圧力鍋で23分加圧。
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急ぎであれば、味付け後、再び加圧調理(10分)をしてシャトルシェフで保温調理

急ぐ必要がなければ、味付けをしてシャトルシェフで保温調理(~6時間)。

圧力鍋で角煮を作ると柔らかくなるし、味もしみるのですが、
脂身の透明感はでません(時間の短縮によるエネルギーの節約)。
じっくりと煮込んだものにはかなわない調理具合です。

ただ、通常、5時間くらいコトコトと煮込むわけなので、ずっとついていなければいけません。
そして、ガス代または電気料がかかります。

また、シャトルシェフだけでも、角煮レシピがついてきますが、それは1時間以上の保温調理を2段階必要な、気の長い調理法になります。(エネルギーだけの節約)

二つがあれば、圧力鍋で下ごしらえをして、シャトルシェフで、食べる直前まで保温調理をすればいいのです。
だんだんと理想のキッチンに近づきつつあります。

家族みんなに還元できるように、勉強を重ねたいです。

by maxim0427 | 2011-04-29 21:04 | 日記  

日本の歴史(神話―天照大御神)


天照大御神の特質

1:皇室の祖先、すなわち皇祖神である。
2:日の神である。天照大御神=天に在って照り輝くという意味。

 宗教的というよりは、日が天にあってこの国土を照らすという自然現象と、皇室がこの国を統治せられるという政治形態の上の事実との間に平行を認め、この二つを結びつけて皇室を日になぞらえたものあろうという解釈とまた、「日そのもの」ではなく「神をまつる巫女」としての性質が強いという解釈も多くある。
 日の神を皇祖神としたのは、物語の作者の作業ではなくて、皇室や大和朝廷が実際に日を崇拝し、そればかりではなく、日本国土の統一によって日の崇拝を独占した結果であり、天照大御神という神格の原型は、大和朝廷の宗教的・政治的構造そのものにあったのであろう。

by maxim0427 | 2011-04-29 18:00 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話―黄泉国)

伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神は、国生み神話では、政治的国土を生みだすという役割を負っていたが、、つぎの「黄泉国(よもつくに)」の神話(日本書紀には記述がない)では、「生と死の世界」の相克者としてあらわれる。

黄泉国

 女神の伊邪那美は、火の神を生んで命を失ったので、男神の伊邪那岐命はなげき悲しみ、女神のなきがらを、出雲と伯伎(ははき)の国堺の比婆山に葬り、十拳剣(とつかのつるぎ)をぬいて、女神を殺した火の神を殺してしまった。

 男神は女神をなつかしみ、黄泉国(死の国)を訪れて、まだ国生みは終えていないから、現世(うつしよ)に帰れとせがんだが、女神はすでに、黄泉国の食物を食べて醜い姿になってしまっていた(黄泉戸喫・よもつへぐい)。女神はそれでも男神の心にしたがおうと思い、しばらく待ってくれとたのんだが、男神は待ちきれずに、黄泉国に足をふみ入れ、湯津津間櫛(ゆつつまぐし)(「ゆつ」は聖、「つま」は伴侶。:清浄な伴侶の櫛)の一歯を折って、闇のなかに火をともした。見ると女神の肢体は、胸にも腹にも陰(ほと)にも雷(いかずち)がとりつき、あさましくも醜い姿であった。男神はこれを見て、驚いて逃げ出すと、女神を怒りにふるえ、黄泉醜女(よもつしこめ)・千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)をくりだして追いかけた。男神はそこで、黒御縵(くろみかずら)(黒色の髪飾りのつる草)・湯津津間櫛を後手に投げつけながら、黄泉比良坂に来て、坂本にある桃の子を投げつけてやっと難をのがれた。

 現世に帰還した男神は、その比良坂に千引岩をたてて、なおも追いくる醜い女神に事戸(ことど)(離縁ともいわれるが不詳)を言いわたした。女神はいきりたち、「愛(は)しきわが汝兄(なせ)の命、かくせば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)、絞(くび)り殺しに殺さむ」と呪ったが、男神も負けずに、「愛しきわが汝妹(なにも)の命、しかせば、われ一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」と言いかえした。そして男神が言い勝ったので、人間は一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人生まれることとなった。

 男神は、黄泉の穢国(きたなきくに)のけがれを去ろうと、竺紫(つくし)の日向に行き、そこで清い流れに身をひたして禊祓(みそぎはらい)をした。けがれはすべて流れ去り、それらは、直毘神(なおび)(災いをなおす神)など多くの神々となり、清い流れもまた綿津見(海)に神と化成した。こうして命が清浄の身となって左の目を洗ったとき生まれたのが皇祖神の天照大御神であり、右の目からは月読命(つくよみ)、鼻からは建速須佐之男(たけはやすさのお)が誕生した。
 

by maxim0427 | 2011-04-29 16:50 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(神話ーおのころ島)

古事記・日本書紀には、この旧辞型の創造神話のつぎに、
もう一種の国土形成の神話が記されている。

おのころ島

 伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神は、この漂える国を固成せよ、と天神から命ぜられた。
そこで二神は、賜った天沼矛をもち、天浮橋にたち、矛をさしおろして海水を「こおろこおろ」とかきならして引き上げると、矛先からしたたり落ちる塩がかさなりつもって、淤能碁呂島(おのころ島)ができあがった。
 
 二神はその島に下って、天之御柱を立て、八尋殿を造り、男柱は左から、女神は右から御柱をめぐってまぐわい(生殖行為)をおこなったが、はじめ女神の方が男神を誘ったので成功せず、水蛭子(手足のない子)が生まれたので、葦舟にいれて流してしまった。つぎの淡島もおなじであった。

 二神はそこで、天神の命を請い、太占(うらない)にしたがって、こんどは男神が女神を誘い、ふただび御柱をめぐってまぐわいをすると成功した。そして、淡路島(あわじのしま)、伊予の二名島(いよのふたなのしま)、隠岐の三子島(おきのみつごのしま)、筑紫島(つくしの島)、伊伎島(いきしのしま)、津島(つしま)、また佐渡島(さどのしま)、ついで大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)、吉備児島(きびのこじま)、小豆島(あずきしま)、大島、女島(ひめじま)、知訶島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)(男女群島)がつぎつぎと生まれた。

 二神は国を生みおわってから、家屋の神、海や河の神々、風や木の神々、山や野の神々などを、つぎつぎに生んだ。そして、最後に火の神を生むと、伊邪那美は陰部を焼かれて死んでしまった。


解釈:土壌が固成してゆくことを神格化したものである。本州・四国・九州その他「大八州国(おおやしまぐに)」であり、大和朝廷が支配する政治的な国土の誕生である。
 伊邪那岐と伊邪那美の二神が、国土と山川草木の神々を生んだ後には、天照大御神ら三柱の神々生まれるのであって、この国生み神話は、政治的な国土と、その国土を支配する大和朝廷の祖神を生む神話なのである。

by maxim0427 | 2011-04-29 16:00 | 日本の歴史(中央公論社)より