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おむつポーチ完成

調子に乗って、完成させました。
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幅32cm、深さ28cm、幅16cm。
おむつが3~4枚とおしりふき一緒に入るサイズとのことです。

おむつポーチとして役目を終えたら、お弁当袋になるかもです。

おむつも触ったこともないので、よくわかりませんが、役に立つことでしょう。

生地も、本に記載通りの長さを購入しましたが、半分ほどあまりました。
お揃いでまだ何かつくれそうです。

by maxim0427 | 2011-07-24 09:35 | あかちゃんのために作るもの  

おむつポーチ

次にチャレンジするものは、
おむつポーチです。(「赤ちゃんのために作るもの」P20)
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生地は、マザーズバックに合わせて、選びました。
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合わせて1,141円。

そして、新しいグッズも購入。
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さすがにチャコペンが小っちゃくなったので、水性チャコペンシルを購入しました。
2日から14日で、線が消えるそうで(水を使うとすぐ消える)、めんどくさがり屋の私にぴったりのグッズです。265円。

by maxim0427 | 2011-07-23 16:01 | あかちゃんのために作るもの  

ミシン屋さんへ

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5年ぶりにミシン屋さんへ。
フットコントローラーを購入しました。4,725円。

ついでに、ミシンについてきたアタッチメントの説明をしてもらいました。
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5年間わからないままだったのです。

右が、まつり縫い用アタッチメント。
左が、裁ちめかがり用アタッチメント。(ACモードで使用)

なんと実演までして教えてくれました。

ありがたかったです。
結局、あまり使わないもののようです。

5年前に購入した、ロックミシンで代用できるためで、ロックミシンでも実演して教えてくれました。
今度、講習会があるそうで、次回参加することにしました。
今日一日で、かなりレベルアップしてしまいました。

家族みたいに接してくれる素晴らしいお店です!!
お仕事辞めると、人と接することが少なくなるので、
こういう出会いは大事にしたいです。

by maxim0427 | 2011-07-23 15:50 | あかちゃんのために作るもの  

マザーズバック完成

昨夜、夜なべをして完成しました。
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ほぼ完ぺきなできです♪(まだチャコペンの後がついています(' ';))

大きさは横幅52cm、高さ39cm、幅14cmの、たっぷりサイズです。

これは役にたちそうです。
色違いでもう一つ欲しいくらいです。

生地代+糸+ゴム+芯=3,400円でした。

by maxim0427 | 2011-07-21 08:14 | あかちゃんのために作るもの  

くらすわへ

先日、濱さんのフラワーショーで同席させていただいたのが、
「くらすわ」の支配人の方で、奥様とも楽しく過ごさせていただきました。
今度お店にいらしてくださいネと声をかけていただいたので、
早速、健治さんといってきました。

なんだかとってもお洒落なお店で、感激しました。
こういうお店大好きです。

お昼どきに出かけたので、2Fのレストランへ。
諏訪湖を眺めることのできる一面ガラス張りのレストランです。
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ここのレストランのコンセプトは、
信州十四豚と旬野菜のお店とのことなので、
信州十四豚の滋養味噌かつ丼を健治さんとお願いしました。
(しんしゅうじゅーしーとんと、読みます。)

サラダバーがあって、お野菜もたっぷりといただいて、
味噌かつ丼もお肉が柔らかくて、キメが細かくておいしかったです。
居心地がいいし、なんだかとってもお得な感じがしました。

「くらすわ」の屋上はデッキになっていて、諏訪の花火も見れるそうです。
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子どもが大きくなったら、ここで、見てみたいです。

「くらすわ」は、あの養命酒の会社が資本となっているお店で、一Fは、信州の工芸品や、カフェがあります。帰りにその養命酒に使っているお水なのでしょうか、養命水で作ったかき氷をデザートに買いました。
さて、かき氷をゲットして、帰ろうとしたところ、支配人登場です。ついつい手を振ってしまいましたが、夜に会ったときと違って、、ピシッとスーツを着ていたので、支配人らしい雰囲気でした。帰り際でしたが、少しお話できてよかったです。また遊びに行きたいです。

後になって気づきましたが、諏訪湖の写真に写りこんでいます・・・。
空にピカチュウがいます。

by maxim0427 | 2011-07-16 23:42 | 日記  

赤ちゃんのために作るもの

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先日、AMAZONでこんな本を購入しました。
まだ仕事をしているので、なかなか時間が取れませんが、やっぱり少しずつでも手をかけたいところです。

赤ちゃんが生まれてからだと、なかなかいろいろ作るということが、難しいということなので、妊婦中に用意しましょうという本です。

一先ず、まだ性別もわからないので、本の中のマザーズバッグを作成します。↓
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こんな感じのものです。
とっても可愛いです。


ということで生地を健治さんと買いに手芸屋さんへ。
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とっても可愛い生地と遭遇いたしました。

この小鳥や花の生地に私の好みとしては、紺色を配色したいところでしたが、
健治さんがもっと明るい色がいいというのです。赤ちゃんのために色を選ぶ時期だというのです。

へぇ~。
紺色でビシッと色をまとめたいところでしたが、
赤ちゃんのためといわれると、優先せざるおえません。
赤ちゃんが和む色にすることにして、同系色の生地を選びました。

いつできるか、わかりませんが、まだまだいっぱい作りたいものがあるので、早くとりかかりたいところです。

by maxim0427 | 2011-07-16 19:00 | あかちゃんのために作るもの  

パンチョスのこと(新情報)

昨日、私の近所の同姓(旧姓)の姓で、新聞に猫を保護しているとの記事が新聞に載っていたということ聞きました。
色は!?っと、新聞を見てみると、白に薄茶のぶちと書いてありました。ひとなつっこく、年は1歳の雄猫を保護していますと書いてありました。
確実にパンチョスです!!!

夕立が来るたびに心配をしていたので、すっごい嬉しかったです。
なんという奇跡の情報です。

ゆきさん ありがとう!!!

by maxim0427 | 2011-07-16 09:58 | MY猫計画  

超音波診断3回目

3か月目病院にて
予約したものの1時間30分も待ちました。
私の通う産婦人科は、待ち時間0分なので、ちょっと疲れてしまいました。
次は、本かDSを持っていきたいと思います。

とはいえ、成長した超音波映像をみたら、やはり感動しました。
頭と体と手と足があって心臓が動いていました、5センチだそうです。
生まれて初めて感じる命かと思っていましたが、なるほど、もうお腹の中で生きて暮らしているんだと感じました。
この体は、今、この子の家であり、無茶はしてはいけないと感じます。
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by maxim0427 | 2011-07-14 18:00 | 日記  

日本の歴史(金印の発見)

 金印の発見

 一七八四年(天明四)、北九州の博多湾の真正面の志賀島(しかのしま)( →福岡県福岡市東区に所属する島)村の甚兵衛(じんべい)という一人の農夫が、まったく偶然の機会に「漢委奴国王」の五文字を刻んだ金印を発見した。
 
 甚兵衛はそのとき、島の叶の崎(かなのさき)で、田の溝を改修していたのだが、溝の岸をきりおとしていると、二人で持つほどの大きな石がでてきた。そこで梃子(てこ)で掘り起こすと、この金印があらわれたのである。かれは、それを持ち帰って、兄の喜兵衛に相談したが、兄はさっそくこれを以前に奉公していたことのある福岡の豪商、米屋才蔵(こめやさいぞう)のところへ持って行った。まぎれもない純金で、相当な値打ちのものだ、ということをたしかめて帰ってきたが、そのうちに庄屋の長谷川武蔵がたずねてきて、掘り出しものをすぐに郡代役所へさしだせということになった。そこで甚兵衛は、口上書きをつくって品物といっしょに届けたのであった。

 金印の出土したところは、この口上書によると、志賀島の西南側の叶の崎の崖の下で、いま「金印発見の地」という立札がたっているあたりでった。しかし、この金印については福岡藩の学者青柳種信が記している「後漢金印略考」という本によれば、場所は島の西北の叶の浜となっていて、しかも出土の状態が甚兵衛の口上書とは少し違っている。すなわち、一つの大石の下に三個の石があって、物を囲むようになっており、そのなかから金印が出たというのである。甚兵衛の口上書どおりだと、金印は単独に地下に埋まっていたことになる。種信らの記述が正しいとすると、これはどおやら、あとで述べる石棺や支石墓のようでもある。

by maxim0427 | 2011-07-04 22:17 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(文字に記録された日本―「後漢書」)

「後漢書」に記された日本

 西暦二五年、後漢の光武帝が漢朝を再興したが、後漢はいぜん楽浪郡を根拠地として朝鮮半島を支配し、いわゆる「羈縻(きび)政策」をもって土着民に臨んだ。それは、土着民の族長に候(こう)・邑君(ゆうくん)・三老などの中国の官職をさずけ、かれらを懐柔して治めるという政策であった。土着民にとっては、自分の権威が高まるのと、交易上の特権を得ることができるので、競ってこの後漢の政策にしたがった。

 ところで、光武帝は、この羈縻政策を倭人にもおよぼした。それは五世紀の宋の范曄(はんよう)の書いた「後漢書」のなかに次のように記されている。

「建武中元二年(西暦五七) 倭奴国 貢を奉じて朝貢す 使人自ら大夫と称す 倭国の極南界なり 光武賜うに印綬を以てす」

すなわち、倭奴国は使者を光武帝の君臨する洛陽の都におくり、光武帝は、これに印綬をさずけたのであった。漢の帝室は、「内臣」とよばれる国内の封建諸侯や官僚たち、「外臣」とよばれる属国の首長らに、一定の規格の印綬をさずけ、それによってかれらの身分と地位を保障していたのであったが、光武帝はそれを倭奴国王にもさずけたのである。

by maxim0427 | 2011-07-03 21:40 | 日本の歴史(中央公論社)より