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日本の歴史(魏志倭人伝)

「魏志倭人伝」

およそ二千字にわたって、当時(弥生後期の三世紀ごろ)「倭」といわれた日本歴史・地理および風俗などが、こまごまとつづられている。

「三国志」のうちの「魏志」の「東夷伝」の「倭人条」というのが正式名称
(「三国志」とは、後漢が滅んでのち、魏・呉・蜀の三国が並び立っていた三国時代(二二〇~八〇)の歴史)

撰者:陳寿(ちんじゅ)(二九七年 六十五歳没)


陳寿は、魏の魚ゲンという人が書いた「魏略」という本を参照にし、内容に取捨を加えている。
(陳寿が不要なものとして、捨ててしまった記事、「魏略」の断片として残っているうちにも日本人が「まだ暦を知らず、春の耕耘と秋のとり入れの時を記して、一年一年を数えている」という貴重と思われるものもある。)

「魏志」と「魏略」の記録の材料として主なものは、二四〇年代に少なくとも二度、魏の命をおびて日本に使わされた朝鮮半島の帯方郡(たいほうぐん)の役人の実地の見聞とその報告。 それと、日本のほうから、帯方郡の役所、さらには、魏の都洛陽(らくよう)におもむいた使節からの聞き書き。などと考えられるので、記事はかなり実地に即したものだったに違いないのである。

「倭人伝」はただ詳しいというだけでなく、三世紀の中国人が同じ三世紀の日本の状態を記した、同時代資料として貴重な文献である。


「倭人伝」の内容は、・三十に及ぶ倭人の国々への距離や戸数 ・衣食住や習俗・国々を統合した女王国の政治と外交とつづいている。

by maxim0427 | 2011-09-29 22:50 | 日本の歴史(中央公論社)より  

ブラウスとスタイ

あかちゃんのために作るものP13「ブラウス・スタイ」
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ノースリーブシャツとパンツとお揃いの生地です。

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とっても可愛いです。
でも・・・・。スタイの留めるところが・・左右逆でした・・(*^。^*)

表布@85円/10cm×4=340円
バイアス布@114円/10cm/2×4.5=256円
その他:カバード釦1個など。

とっても、とっても可愛いです。

by maxim0427 | 2011-09-21 17:27 | あかちゃんのために作るもの  

ノースリーブシャツ・パンツ

あかちゃんのために作るものP12「ノースリーブシャツ・パンツ」
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似た生地を探しました。
布1000ネット㈱丸信にて購入。
表布@85円/10cm×5=425円
バイアス布@114円/10cm/2×3=171円
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目標は、服をもっともっとたくさん作って、赤ちゃん用のタンスを買うことです。

by maxim0427 | 2011-09-17 16:24 | あかちゃんのために作るもの  

クーファン完成!

あかちゃんのために作るものP10の「クーファン」がやっと完成しました。
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少し手つかずの期間もありましたが、1か月もかけてしまいました。

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外へでも持ち運べるように、底はラミネート加工の布にしました。(
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クッションもフカフカだし、ここに赤ちゃんが寝ている姿を想像したりして、
とっても達成感でいっぱいです。

by maxim0427 | 2011-09-15 16:33 | あかちゃんのために作るもの  

絵馬の奉納

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健治さんと安産祈願の絵馬記入。
一緒に神社へ行って奉納してきました。

叶いますように。

by maxim0427 | 2011-09-10 17:59 | 日記  

パンチョスとパーチンの親

パーチンは今日も来ました。
竹輪を今日もあげることができました。
また、ピタッと座って、ニャオ、ニャオ、っと鳴きます。
言葉がわからないのですが、何かをしゃべりかけているのだと思います。

少しの間、横になって寝ていきました。
(少しだけ、心をゆるしてくれたのでしょうか。)


しばらくして、
「パンチョス!」
窓の外に懐かしい、模様の後ろ姿!!
近寄ると、パンチョスよりでっかい。


これは、確実にパンチョスの親です。

おんなじ模様です。
窓を開けようとしたら、瞬く間に去っていきました。

パンチョスにはどうやら飼い主があらわれました。
パーチンはひょっとして、野良猫で、一人ぼっちではないかなっと心配をしていましたが、
親子でいるなら、安心だなっと思いました。

これから寒くなるし。
どうか暖かい冬をすごせますようにっと思います。

by maxim0427 | 2011-09-07 14:30 | MY猫計画  

日本の歴史(三種の神器の起源 2)


<日本書記>
五一二年、継体天皇が皇位につくときも、群臣が「跪いて(ひざまずいて)天子の鏡・剣の璽符(みしるし)を奉った」
六九〇年、持統女帝が皇位につくとき「忌部宿禰(いんべのすくね)が剣と鏡を奉った」

<日本神話>
邇邇芸命の降臨のとき、天照大御神が玉・鏡・剣を授けた。

これらの皇位のシンボルとしての三種の神器の思想が、どのようにして起こったかは、くわしくわからないが、弥生時代の族長の墳墓にみられる三つの宝器と関係があるであろう。
なぜならこの風習は四世紀初頭にはじまる古墳時代に入っても、はじめの一世紀ほど伝わり、この古墳時代のはじめに国家首長としての天皇家の地位が確立したと思われるからである。

剣・鏡・玉の三種からなる一銭とは、宗教的祭祀の具としてもちいられたものらしい。日本書紀の景行紀と仲哀記に次のような場面がある。

・景行天皇の使者を迎えた周芳(すおう)の娑婆(山口県佐波郡)の魁帥(ひとこのかみ)、神夏磯媛(かむなつしひめ)は、
「磯津山(しつやま)の賢木(さかき)、抜(こじと)りて、上枝(ほつえ)には八握(やつか)剣をかけ、中枝(なかつえ)には八咫鏡をかけ、下枝(しもつえ)には八尺瓊(やさかに)(の玉)をかけ、素幡(しらはた)を船舳(ふなのへ)に立て」て服従を誓った。

・仲哀天皇の筑紫の行幸には、岡県主(岡は福岡県遠賀郡)の祖の熊鰐が、
「五百枝の賢木を抜り、もちて九尋の船の舳に立て上枝には白銅鏡(ますみ)をかけ、中枝には十握剣をかけ、下枝には八尺瓊をかけて」出迎え、伊覩県主(いとのあがたぬし)(福岡県怡土郡)の祖の五十迹もまた、「五百枝の賢木を抜って、船の舳艫に立て、上枝には八尺瓊をかけ、中枝には白銅鏡をかけ、下枝には十握剣をかけて」迎えたという。

これらはおなじ類型の話であるが賢木に鏡と剣と玉をかけて捧げるという一つの宗教的儀礼の形式が、古く九州地方にはおこなわれていたのであろう。そしてその物語が、いわば地方豪族を服従させる場面でえがかれていることも見落とすことができない。これは族長の宗教的祭祀権の委譲を示す場面であったと思われる。

剣・鏡・玉は、族長のシンボルであり、呪術宗教的な祭祀の具であったとおもわれる。この時代の社会では、族長としての資格が単に力や富のみではなくて、マジシャンとしての能力にも大きく依存していたことがわかる。

by maxim0427 | 2011-09-06 12:30 | 日本の歴史(中央公論社)より  

日本の歴史(三種の神器の起源 1)

国々の遺跡

「後漢書」に「五七年に倭奴国が朝貢した」とある。三世紀ごろの「魏志倭人伝」によると、奴国の西には伊都国があり、伊都国の西には末盧国があって、これらの国々はそれぞれ独立国を保っていたことがある。(一世紀から三世紀まで奴国は続いていることがわかる)

伊都国の位置:博多湾の西を限る糸島半島の基部のあたり。
末盧国の位置:佐賀県の東松浦半島のあたり。
それぞれ30㌔ぐらいしか離れていない近い距離にある国々が、三世紀になってもまだ半独立状態であったとすると、弥生中期の政治集団、「国」の広さは、いまの郡ほどのちいさなもので、それぞれの王を持ち分立していまものと思われる。

奴国王が後漢に朝貢した弥生中期は、中国や挑戦でできた銅鏡や青銅の武器類がさかんに西日本に輸入された時代でもある。

日本には三つの文化圏があった。
①北九州を中心とする西日本の青銅や鏡や剣や鉾の文化。
②近畿を中心とする中部日本の銅鐸の文化。
③青銅器の文化の波及がほとんどなかった東部の日本。

これを一つの目安としてみると、大陸との交渉の門戸の位置を占める西日本、とくにその中心である北九州は、当時の文化の最先進地帯であったことがわかる。

三種の神器の起源

この北九州の弥生中期の文化を特徴づけるのは、いまあげた銅鏡は青銅器の武器類のほかに、墓制では甕棺・箱式石棺・支石墓などであった。
一か所に集まっていて共同墓地的な甕棺遺跡のなかには、一般には幼児を葬るためのものであるが、成年も葬っており、副葬品の豊かさとそのあり方に注目があつまっている。その遺跡は、ちょうど、奴国・伊都国・末盧国などの所在地と、その付近に分布している。

北九州の族長たちの甕棺墓の副葬品には、一つのセットとしての型がある。それは、いま見てきたように、銅剣・銅鉾のような武器類と銅鏡と、そいて玉類である。セットそのものが何らかの意味をもっていることを物語っている。

多くは武器という実用品であったとみられないことはないが、多くは朝鮮からの輸入品で、日本で製作されたものではなかったと見られている。
ところが、弥生後期になって日本人自らがつくりはじめた青銅の剣や鉾は、すべて実用には役立たない広型の武器類であった。

弥生人ももちろん武器をもっていた。弥生中期の甕棺に、攻撃用の鋭利な鉄製の武器を副葬した例もあった。だが、後期の役立たない広型の青銅の武器・鏡・玉のセットは、宝器としてつくったのである。
皇室のシンボルとしての「三種の神器」との共通性である。

by maxim0427 | 2011-09-06 11:51 | 日本の歴史(中央公論社)より  

パーチンと命名

パンチョスとは違う猫へ、パーチンと名前をつけました。

それは、今日もパーチンが来てくれたからです。
もちろん、鳩を取りに来たようでしたが、
今日は近くにいたので、竹輪をあげることができました。
最初は警戒心満々な様子でしたが、
少しづつ近づいてきてくれました。
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1本目の竹輪は、遠くへ行って食べるしぐさをしていましたが、
だんだんと慣れた模様で、計3本の竹輪をあげました。

車の音がして、パーチンは、その場を離れていきました。

窓をしめて、しばらくして、外をみたら、パーチンが、帰ってきていました。
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30分以上、その場でじっとしていました。さながら忠猫パーチンです。
可愛すぎる。

絶対にパンチョスの兄弟だなっと確信しました。

妊婦だし、飼えないけど、また遊びに来てほしいです。

by maxim0427 | 2011-09-05 21:57 | MY猫計画  

日本の歴史(金印の意味)


金印の意味

奴国の王の金印「漢倭奴国王」の印は、もと藩主の黒田家の所蔵となている。
一辺は、二・三センチの純金の方印で、つまみは蛇鈕(だちゅう)といって蛇の形をしている。

この金印は、漢が属国の首長(外臣)にたいして授けていた印の制度に合っているところと、ないところがあるという。

合っているところ
・漢:漢帝がさずけたということの意味
・一辺二・三センチの正方形という大きさが漢の一寸四方に相当すること。
・陰刻になっていること。

合っていないところ
・本来なら、印文の末に『印』『章』などとあるべきところにそれがないところ。
・つまみが亀鈕(きちゅう)であるべきなのに蛇鈕(だちゅう)であること。
・異民族の王なのに、某国王と『国』の字のあること。

このように合わない点があるところから、この金印は偽物だという説もなされてきた。
しかし、近年、雲南省で滇民族(てん)の族長の漢の与えた金印が発見された。
この金印も鈕はやはり蛇鈕であり「滇王之印」という四字の刻文も、漢の外臣にたいする印制と合わないところが多かったところから、金印偽物説の論拠が薄弱であったことを示している。

滇王之印は、この王がなかば王朝の官僚、すなわち内臣であり、なかば外臣でもあることのために、二種の印制を兼ね合わせた独自の印をさずけたのであり、また、奴国王の印は、奴国王が普通の意味の外臣ではなく、漢の皇帝の徳化を破り、朝貢の栄を有するが、しかも皇帝の臣下としては、遇せられない異民族の首長、すなわち、不臣の外臣であったために、独自の印をさずかったのであろうと仮説がたてられる。

by maxim0427 | 2011-09-05 14:10 | 日本の歴史(中央公論社)より